2012年04月11日

断食一週間の果てに見えたもの

俺ってつくづくバカだと思う。
やってみないと分からないのだから・・・。


●断食一週間

このままで良いのかなど、いろいろ悩みがあって断食を決行した。
と言っても、さあやるぞ、と意気込んだものではなく、半ばなし崩し的にではあるけれど。
正直これで死ぬなら死んでも良いとすら思っていた。


最初2日くらいは水すら取らなかった。
その後もごく最低限だ。


3日が過ぎるころには空腹感すらしない。
ただ、ひどく喉が渇いた。


それ以降になると、少し頭がボーっとしてきて、ひどい脱力感に襲われる。
用を足しに少し歩いただけでも心臓が早鐘を打つのが分かる。
体がとても重い。
空腹はもはや痛みに変わっていた。
仰向けになると腹が凹んで内蔵の形が分かって気持ちが悪い。


そして一週間が立つ頃にはもうフラフラになっていた。
でも、意識はしっかりしていて、噂に聞く幻覚や幻聴などの幻想的な体験はついぞすることはなかった。
ちと残念。


でも、ここが生死の境目だと言うことが何となく分かった。
それでやめた。
夜中、フラつく足取りでコンビニに行って肉まんを食べた。
ちょっと粉っぽくて、ちょっと塩辛かったその肉まんは、これ以上ないというくらいに美味かった。
でも、同時に疑問も沸いてきた。


●テレビばっかり見ていた一週間

断食中はできるかぎり外界の情報は入れないようにしようと思っていた。
でも、それは想像以上に辛いものだった。
情報に飢えるというわけではなく、何もしていないと空腹や喉の渇きに意識が行ってしまうのだ。
夜は眠ろうと思っても眠れない。
それがものスゴク辛かった。


断食中、あえて食べ物番組をよく見た。
食べたいのに食べられない苦しみは相当のものだが、そこはあえて苦しい方を選択した。
ちなみに、一番辛かったのは「吉田類の酒場放浪記」だった(笑)


それにして、食べ物番組の多いことに驚く。
どこがウマイ、どこが安い、どこがオススメ、なんでもござれ。
普段グルメ番組なんてそんなに見ないので驚いた。
困ったときの食べ物というのは今も変わらないのだろうか。


●肉まん食べて考えた

断食明けに初めて口にした肉まんは、その後激しい胸焼けを伴った。
やっぱりもっと胃にやさしいものから始めなきゃいけなかったようだ。


それはともかく、肉まんを食べて思ったのは、「こんなに簡単に肉まんを食えて良いのかなあ」ということだ。
肉まん代を持っていない人はそれすらできないという経済的な問題は他に譲るとして、本当にこんなに簡単に命を食えてしまって良いのだろうかとその時思った。


因果応報という言葉がある。
良い行いをした人には良い報い、悪い行いをすれば悪い報いがある。
少し意味は違うかもしれないが、こんなに簡単に命を食うってことは、逆に人間が簡単に殺されて食われたとしても文句は言えないだろうなあと思った。


絶対にこれは良くない事だと思う。
本質的には無価値のお金さえ出せば簡単に命を食べることができてしまう。
矛盾だ。


図らずも矛盾は人口の増加と食糧不足によって解消される予想となっている。
食料の値段は高騰し、いずれはお金と交換なんてできなくなるだろう。
でも、それが本来の姿ではあるまいか。


腹が空くことはありがたい。
食べられることはもっとありがたい。
でも、食べているのは命である。


翻って、グルメ番組とは命を扱っているのだという意識は・・・無いだろうなあ。
そういうことに慣れては絶対にいけないと思う。


いのちの食べ方の続編というわけではないだろうが、食の問題を扱った作品。
今度見てみようと思っている。
今なら分かる気がする。

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posted by topolino at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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