2013年01月25日

アルジェリア人質事件。実名報道でないとなぜ弔いにならないのか?

アルジェリア人質事件で、安否不明だった日本人10名の死亡が確認された。
国別の犠牲者では最多という。
大変痛ましい。
冥福を祈るなんて言葉では済まないほど痛ましく感じる。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130125/mds13012508430000-n1.htm


事件の報道にあたり、日揮や政府は遺族の心情を慮り実名報道を自粛したが、マスコミが実名報道を求めた。
結局実名報道が成されてしまった。


マスコミの言い分はこうだ。
@事件への国民の関心が高いこと。
A政府が公的に安否確認を行っていること。
B政府が情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与していること。
また、2004年4月と10月にイラクで起きた人質事件の際、当時の政府は日本人被害者の名前を公表していると指摘した。


毎日新聞のベテラン記者が以下のようにツイートしている。
亡くなった方のお名前は発表すべきだ。それが何よりの弔いになる。人が人として生きた証しはその名前にある。人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない、と。
http://www.j-cast.com/2013/01/23162439.html


また、信濃新聞の社説には、どんな人が巻き込まれ犠牲になったかの情報は、事件の本当の姿を知る上で欠かせない。テロ対策を進めるためにも必要だ。可能な限り早いタイミングで氏名を公表するよう政府に求める。
とある。
http://www.shinmai.co.jp/news/20130124/KT130123ETI090002000.php



報道ステーションは、遺族からは名前は伏せるよう要望があったにも関わらず実名を報道した。
http://buzzpics.blog.fc2.com/blog-entry-2788.html


結果このようなマスコミの報道に避難が集中することになる。


●実名報道の意義

今回のアルジェリア人質事件において、被害者の実名を報道する意味は無いと私は考えている。
国民の関心が高ければ実名を報道しなければならないのか。
名前を皆に公表しなければ弔いにならないのか。
名前が分からなければ事件の全貌が分からないのか。
全て否である。


いくら事件への関心が高くても、遺族の悲しむ気持ちを無神経に無視してまで知りたくは無い。
名前を知らなければ哀悼の意を示せず、鎮魂を祈れないほど日本人は薄情ではあるまい。
名前が分からなくて、どこに所属し、何をしてきた人か分かればどんな人かは分かるだろう。
事件解決の為と公言している以上、実名報道をした暁にはその責任を負うことになるが、どうせその気はないだろう。


人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない、などと偉そうなことを言っているが、それを判断するのは遺族の方々でありマスコミではない。
これらの言動の裏には、人の不幸を飯のタネにしようとする助平根性が透けて見えるのだ(ある意味では見上げたプロ根性と言えなくもない)。


本当に弔いをしたいのであれば、世界からテロを無くすこと以外に無い。
剣ではなく筆の力をもって実現することをこそ真の弔いであり、マスコミの意義ではないだろうか。



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posted by topolino at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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