2013年03月16日

ケサランパサランを初めて読んだ。多くの人は知る権利を放棄しているのではないか!?

ジャーナリズムとは何か。
報道(ほうどう、英: Report)とは、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。報道を行う主体を報道機関という。報道の媒体をメディアと呼ぶ。
報道は社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、「第四権力」とも呼ばれる。
ジャーナリズム(英:Journalism)とは、日本以外において報道姿勢、報道活動、報道機関やその業界のことを総括した意味をもつ言葉である。
報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。 この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求するための取材が不可欠である。 憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。 取材をして裏付けを取り、事実を報道することが、報道の原則である。
ウィキペディアより。


現在多くの人の情報源となっている新聞やテレビは果たして真実を伝えているだろうか。
答えは否である。
新聞やテレビの情報は、誰かがある意図をもって言った事を右から左で伝言ゲームで流しているに過ぎない。
納豆を売りたければ納豆は体に良いという情報を流し、そうすれば翌日店頭からは納豆が消える。
バナナを売りたければバナナだ。
要は金になること、金や権力に阿っているのだ。


こういう(特に健康情報には顕著)情報にはもともと懐疑的だったが、決定的だったのはやはり3.11の原発事故だろう。
震災から2年が経つにも関わらず、未だ故郷に帰ることすらかなわないのは1にも2にも原発事故のせいである。
線量が高く、帰るに帰れない。
除染を進めてはいるものの今ひとつ効果が上がらない。
業を煮やし政府は、基準自体が達成困難なものであるとしてきた。
終いには、必要以上に放射能を危険だと煽っているとまで言い出した。
新聞各社はその大本営発表を垂れ流し、放射能は心配いらないと国民に植えつけていく。
放射能が心配だと口にしようものならキチガイ(言葉は悪いが)扱いだ。
一部の利権者や利権を守るためには、政府や報道各社は平気でウソを垂れ流すことを3.11以降知った人は多いはずだ。
かういう私もそうである。
それまでジャーナリズム云々、考えたことも無かった。


ジャーナリストの上野さんを知ったのはツイッターでだ。
日本は原爆を持つべきか否かで突っ込まれた。
http://yukyu.seesaa.net/article/321811211.html
最初の印象は正直あまり良いものではなかったが、上野さんのツイートを追ってみると、言葉は悪いが(笑)一本筋の通った人だと思えた。
それで上野さんの書かれている「ケサランパサラン」を買ってみようと思った次第だ。

●ケサランパサラン

初めて読んだケサランパサランは実に面白いものであった。


原発事故後、あえて地元福島県の企業に就職した方のことには目頭が熱くなった。
実際に福島県に住み、復興を目指す人達のことはあまりニュースでは触れられていないことである。


学生ボランティアの方へのインタビューは、自分の今置かれている安穏とした状況はたまたま運が良かっただけで、次の瞬間には崩れるかもしれないほど危ういものであることを思い知らされた。
あれだけの震災があったが、被災していない人にとっては地震も津波も放射能も自分には関係ないことだと思っているに違いない。
明日もいつものように会社や学校に行って、生きる作業ができる保障なんてどこにもないのだ。
また、ゆとり世代に対していかに自分が狭量であったかもだ。


あまりニュースで取り上げられないとういことで、一番興味深く読んだのは元オウム真理教の上祐さんへのインタビューだ。
いずれ日本全体がオウムと化すかもしれないというものだ。
オウム真理教と言えば地下鉄サリン事件だが、実際に被害に遭われた方でもない限りは自分には関係ない、遠い世界の出来事であると思っているはずだ。
私個人としては、オウムではないが宗教に関してはちと嫌な思い出があるので、けっこう身近なものとして感じた。
それについては自分の恥を晒すことになるのだが、いずれ書きたいと思う。


とかく日本人は極端から極端に走りがちだ。
ギリギリまで溜めこんで一気に爆発する。
しかも、自分の命運を左右するような大事なことを平気で他人任せにしてしまう。
戦時中の日本軍のように、日本全体がオウム化する可能性も十分にあるのだ。
ましてやこの閉塞した現代だ。
カリスマ性を持った政治家は現れたら、案外簡単にコロッと行ってしまうのではないだろうか。


そういうことにならない為には、一人一人がちゃんと考える必要があるのだと思う。
日々垂れ流されてくる情報を考えなしに受け取ることは、知る権利の放棄ではないだろうか。
知る権利とは、ただ知るだけではなく、知った上でちゃんと自分の頭で考えることだと思うのだ。
そんなことを考えさせられた。

ダウンロードはこちらより可能です。
1部450円ですが、無料のお試し版もあります。
http://www.kesaranpasaran.net/

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posted by topolino at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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