2013年07月23日

日本が曲がりなりにも経済大国でいられるのは、スリランカのおかげだったのか!!

私は恥ずかしながら、現在の日本があるのはスリランカのおかげであることを知らなかった。
人のせいにする訳ではないが、歴史の授業で習った記憶もない。
せいぜいサンフランシスコ講和条約の締結によって第二次世界大戦が集結した、くらいのものだったと思う。


敗戦国の日本に対し、諸外国は厳しい制裁措置を取ろうとしていた。
その中には日本の分割統治案もあったという。


太陽の黙示録ではないけれど、フォッサマグナから向こうは中国でこちらはアメリカ、行き来するのにパスポートが必要なんてことが、笑い話ではなく現実にあったかもしれないのだ。




しかし、スリランカ代表(初代スリランカ大統領)ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナさんは「憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む」という釈迦の言葉を引用しての演説を行い、唯一、日本に賠償を求めるべきではないと述べました
この演説が日本に厳しい制裁措置を取ろうとしていた諸外国代表の心を打ち、日本の国際復帰への道に繋がったという。
条約締結後、一番に外交関係を結んだのもスリランカであった。
スリランカも日本の攻撃を受けていたにも関わらず、だ。


以下NAVERまとめより転載

何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。

それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、
日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、
ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、
という出来事が思い出されます。

セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国に供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、
我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。

お気に入り詳細を見る 我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。

大師(ブッダ)のメッセージ、
「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる

人は憎しみによっては憎しみを越えられない

実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。

怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。」

はアジアの数え切れないほどの人々の生涯を高尚にしました。

仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、インドネシアそれからセイロン(スリランカ)に伝え、
そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。

これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。

この共通文化は未だに在続しています。

それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。

お気に入り詳細を見る 又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々(街の中にいる普通の人)からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。

我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。

そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。



J・R・ジャヤワルダナ (元スリランカ大統領)


http://matome.naver.jp/odai/2134863009521091401


●真のグローバルとは何か?

最近の企業はグローバルな人材を求めているという。
それに適合されんと、多くの人が英会話を習う。
英会話ができればグローバルなのか?
また、他国に工場を作って低賃金で働かせ、自国にお金を持って来るのがグローバルか?
答えは否である。


他国の人や文化への理解と尊敬なくして何がグローバルか?
自国の歴史すら知らずに何がグローバルか?
もし私がこのことを知らずに仕事でも遊びでもスリランカへ出かけて行き、何かの折に尋ねられたとしたら、私は大恥を晒すところだった。
そんな大事なことを知らずに彼の国を訪れるなんてなんという恩知らずだろうか。
もちろんスリランカの人たちは恩だの義理だと言わないだろう。
でも恩を受けた側としてそれはマズイのではないだろうか。


日本での歴史認識と言えば侵略したとかしないとか、倍賞しろとかしないとか、そんな損得絡みのものだ。
金が絡まなければ日本人は動かない。


でも本当は違うのではないだろうか。
日本における歴史教育の危うさを思い知った次第だ。
そして、このスリランカのような姿勢こそ見習うべきことではないだろか。
個人としても、国としても。


確かにスキルには違いないのだけれど、こうやって一括りにして語ってしまうと、グローバルという言葉がひどく安っぽく思えてしまうのは私だけれだろうか・・・。



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