2015年07月04日

大雨の高速道路で原発の安全神話を考える。

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免許の更新に行ってきた。
私は堂々違反者講習なので2時間拘束されることとなる。
目新しいことは、無免許運転に関する規程が加わったことと、自転車の往来に関するものだろうか。
まあ、講習の文句はこっちでも言ったので今更言うまい。
いつも通りのお仕着せ、警察や関連企業の金儲けである。


●大雨の高速道路の安全神話
免許センターまでの行き帰りはたまにしか使わないので高速道路を使った。
運が良いのか悪いのか、警報が出て速度規制が入るほどの大雨でだった。
千葉駅が冠水するなど、けっこうな大雨だったのだが、そな最中に高速を走っていたわけだ。
http://j-town.net/chiba/news/localnews/208202.html


今まで高速で大雨に当たったことはあったと記憶しているけども、こんなに怖かっただろうか。
というもの、雨の水煙で視界が効かない。
100mも見えれば良いほうだ。
にも関わらず、周囲のクルマはライトも点けずに晴天時と同じようにペタペタに車間を詰めて走っている(もちろん晴天であっても危険な距離だ)。
ライトが点いていないと、特にシルバー系のクルマは水煙に溶け込んでしまって見えず、車線変更が怖い。
これだけ視界が効かないのに、よくそんなことができると感心した。
こっちはある程度車間を保っても怖いと感じるのに、あっちはそんなことは感じないのだろうか。
もちろんちゃんとやっている人もいるけれど、正直巻き込まれたらたまんないと思っているじゃないだろうか。


そうなる原因としては、自分は大丈夫だと思うのか、危険だと感じつつも対処の仕方が分からないのか、そもそも危険とすら認識していないのいずれかだと思う。
ここで話は飛んで、原発の話になる。
今、原発が再稼働できないのは、再稼働しちゃイカンという空気であり、その元となっているのはゼロリスク(つまりは絶対の安全)を求める日本のお国柄だという話を聞いた。
上の高速道路での状況を読んで、果たしてゼロリスクを求めるのは国民性だと思う人がいるだろうか?
当然私は違うと思う。
安全性を高めるには、まずそこにどんな危険があるのかきちんと認識しなければならない。
その後初めて対処方法を考えて実践に移し、ダメならまた他の方法をと、トライアンドエラーが可能となるわけが、恐らくは最初の危険を認識することがスッポリ抜けているのではないかと思う。
潜む危険を認識したとき、自分のことであれば、まあ大丈夫だんべと考えないこととし、他人ごとであればゼロリスクを求める。
ここから見えてくるのは、日本人の国民性とは、「自己の責任の棚上げと他者への無限の責任追求」である。
自己の責任の棚上げは安全神話を産み、他者への無限の責任追及で身動きが取れなくなる。
もちろん、悪いことを言うと悪いことが起こる的な、いわゆる言霊信仰もあったのことだと思うが、この考えはそう外れてはいないのではないだろうか。
その思考がもたらすのは、合理的な考え方の排除であり、感情が優先する事態である。


それでも、今の原発が安全だとは思えない。
そもそもが、自己の責任の棚上げによる安全神話で作られてしまっているからだ。
それでも、ゼロリスクなんてあり得ないのだから、ある程度の対策をしたら再稼働をしても良いのではないだろうか。
稼働をしつつ、再生可能エネルギーへとシフトしていく。
もちろん、原発マネーに毒されたジャンキーがまともな思考をまだ保っていれば、の話ではあるが。


とまあ、そんなことを考えた雨の高速どうろでした。
皆様も安全運転でいきましょう。
ご安全に!
posted by topolino at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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