2015年08月03日

学術的な観点を踏まえた、史実に基づく正確な記述という建前のうやむや化

読売新聞の社説に、戦争遺構を残し後世へ語り継げとあった。
その言や良し。
戦争は悲惨なものだと後世へ伝え、二度と起こさないよう教訓とすることは必要なことだ。


ただ、一つ気になったのは、「一部の人に配慮して両論併記とした」のくだりである。
というのも、長野市の権堂アーケードの七夕飾り垂れ幕に、安保法案に反対するような標語を掲げたところ、それを一部の人のクレームにより撤去したということがあったからだ(まあ私も祭りには合わないと思うが。でも、それはあくまで祭りに合わないというだけで、政治的観念は別だ)。


そのように、一部の人への配慮という口上によって言論の自由や脅かされたり、歴史的事実がうやむやなってしまうのではないだろうか。
本当にそれで後世へ語り継ぐ意味などあるのだろうか。
社説の戦争遺構にしても、強制連行があったにせよなかったにせよ、そこははっきりとさせ(戦争中故に紛失してしまったものも多いだろうが)、やっていたのならばきちんと謝罪し、やっていないのならばハッキリと表明すべきではないのか。
もちろんその調査は諸外国が納得するような形で行うことが重要だ。


戦争遺構は何をやってはいけないか語り継ぐ場所である。
何が悪いことなのか、何があった場所なのかハッキリとしなければ必ず同じ轍を踏む。
やられたことだけでなく、自分たちがやったことも正しく伝えてこその戦争遺構ではないだろうか。


「学術的な観点を踏まえた、史実に基づく正確な記述」とはちゃんちゃらおかしい。
ただ問題をうやむやにしているだけではないか。
そんな戦争遺構になんの意味があるだろうか。
posted by topolino at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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