2015年08月12日

川内原発は想定外を想定しているか?

奇しくも東日本大震災の月命日の11日、鹿児島の川内(せんだい)原発が再稼働された。
新しい基準となってからは初の再稼働となる。
14日には発電が開始される予定だ。
世界一厳しい基準に適合したというが、そうなのだろうか。


確かに、津波や地震時の全電源喪失対策は問題ないと思われる。
むしろここを蔑ろにしたら、何の為の対策なんだかわけが分からない。
しかし、火山の対策には疑問を感じざるを得ない。
読売新聞の社説では、噴火の兆候があれば燃料を運び出すことも決めた、とあるが、通常燃料を運び出す前の冷却期間として数年が必要とされる。
つまりは数年前からの噴火予知が不可欠となるわけだが、果たしてそんなことは可能だろか。
原子力規制委員会の田中委員長は、いざとなれば3ヶ月で燃料は持ち出しが可能と言うが、今のところその技術は確立されていない。
また、チェルノブイリのように石棺にしてしまうことも考えられるとのことだが、さすがに荒唐無稽だろう。
また降灰の予想も甘い等、ゼロリスクを求めろとは言わないけども、さすがに想定が甘すぎると言わざるをえない。
それもそのはず、原発が稼働している間に大規模な噴火は無いという見通しだからである。
原発推進というバイアスがかかるとここまで楽観的になってしまうものなのか。
http://economic.jp/?p=42375


最終的にはそこに住む人がOKすれば良いとは思うが、避難計画も十分だと言えない以上割を食う気がしてならない。
http://toyokeizai.net/articles/-/44307


また、放射性廃棄物の問題も結局棚上げとなったままである。
六ケ所村の核燃料処理施設の稼働や核燃料サイクルを進めろとしているが、事故続きで運転できる目処すら立っていない。
それでもやめないのは、継続していないと使用済核燃料の置き場がなくなって原発が稼働できなくなってしまうからだ。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowerplantfuture/36877.html


政府は2030年の原発比率を20~22%としているが、これは現存の原発の運転延長や新設がなければ達成できない数字である。
そんなに簡単に運転の延長を決めてししまって大丈夫なのだろうか。


ボストン・コンサルティンググループの日本代表御立尚資さん曰く、 日本人は、「失敗から学んで次に生かす」ことは得意だが、「想定外を想定する」ことは下手である、という。
福島第一原発の事故の原因は、想定外の津波である(一応地震には耐えたといわれている一方で、津波が来る前に既に制御不能であったという話もあるが)。
川内原発は想定外を想定しているだろうか。
大規模な噴火は起きないとしている時点で、もうすでに想定外が生じているのだけども・・・。
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2015年08月06日

広島への原爆投下から70年。核軍縮にこそ歴史認識が必要だ。

今日、8月6日は広島に原爆が落とされた日だ。
昭和20年(1945年)から今年で70年になる。
二度とあの悲劇(もちろん私は直接は見ていないが、長崎の原爆資料館は行ったことがある。)を起こさないよう、世界が一丸となって核軍縮をすすめるべきである。
先日NHKのアンケートで、広島、長崎の原爆投下の日を知らない人が7割にのぼるというものがあった。
ちなみに私は、西暦で言えば分かったが、昭和何年かは分からなかった。
原爆投下より70年も経てば仕方がないのかもしれないが、それが核軍縮に逆行する流れを生むのであれば、やはりきちんと知っておかねばならないことではないだろうか。


というような前置きで読売新聞の社説も同じように核軍縮を唱えているが、中国が、被害者の立場を取ろうとしているとして日本を非難している例を上げ、核軍縮に歴史認識問題を絡めるなと言っている。


だが、原爆を投下した爆撃機、エノラ・ゲイと被爆者の遺品を一緒に展示しようとしたら「全米兵への侮辱」言われたり、原爆投下で戦争終結が早まり多数米兵の命が救われた等、それこそ正に歴史認識ではないだろうか。
被爆者の遺品や、原爆ドームなどの戦争遺構は、核兵器ってやっぱり使っちゃマズいよねって思わせる事が目的であり、まかり間違っても、核兵器スゲー超使えるじゃん、なんて思わせてはいけないのである。
それには原爆投下はマズかったという歴史認識が必要であり、戦争終結を早めるから場合によっては仕方がないなんて思わせてはいけないのである。
それには当然原爆投下に至る経緯を知ることが必要だ。


核兵器それ自体に罪はない。
SFチックだが、ロケットの推進力(実際研究はしていたようだ)や、地球に近づく小惑星の破壊もしくは軌道を逸らす等核兵器自体に使い道が無いでもない。
悪いのは、それを戦争に使う人間だ。


原爆投下だけを取り出して被害者面をしているだけでは何も解決しないのは明らかだ。
日本だってやることはやっているのだから、中国の非難は的を射ている(当然戦時中に日本にやられたことに対する遺恨も多分にあるだろうけども)。
きちんと自分たちにやったことを認めた上で、核兵器はヤバイ、戦争はもっとヤバイものだと伝えることが、唯一の被爆国である日本に課せられた使命ではないだろうか。
世界で唯一の被爆国日本が唯一のではなくなってしまう前に。
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2015年08月03日

学術的な観点を踏まえた、史実に基づく正確な記述という建前のうやむや化

読売新聞の社説に、戦争遺構を残し後世へ語り継げとあった。
その言や良し。
戦争は悲惨なものだと後世へ伝え、二度と起こさないよう教訓とすることは必要なことだ。


ただ、一つ気になったのは、「一部の人に配慮して両論併記とした」のくだりである。
というのも、長野市の権堂アーケードの七夕飾り垂れ幕に、安保法案に反対するような標語を掲げたところ、それを一部の人のクレームにより撤去したということがあったからだ(まあ私も祭りには合わないと思うが。でも、それはあくまで祭りに合わないというだけで、政治的観念は別だ)。


そのように、一部の人への配慮という口上によって言論の自由や脅かされたり、歴史的事実がうやむやなってしまうのではないだろうか。
本当にそれで後世へ語り継ぐ意味などあるのだろうか。
社説の戦争遺構にしても、強制連行があったにせよなかったにせよ、そこははっきりとさせ(戦争中故に紛失してしまったものも多いだろうが)、やっていたのならばきちんと謝罪し、やっていないのならばハッキリと表明すべきではないのか。
もちろんその調査は諸外国が納得するような形で行うことが重要だ。


戦争遺構は何をやってはいけないか語り継ぐ場所である。
何が悪いことなのか、何があった場所なのかハッキリとしなければ必ず同じ轍を踏む。
やられたことだけでなく、自分たちがやったことも正しく伝えてこその戦争遺構ではないだろうか。


「学術的な観点を踏まえた、史実に基づく正確な記述」とはちゃんちゃらおかしい。
ただ問題をうやむやにしているだけではないか。
そんな戦争遺構になんの意味があるだろうか。
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2015年07月17日

安全保障関連法案が衆院で可決。これってどう見てもアメリカに兵隊を差し出す法案だよなあ・・・。

安全保障関連法案が16日、衆院本会議で採決、可決され参議院へ送られた。
参議院で採決されない場合、衆議院で出席議員の2/3以上の賛成で再可決できる60日ルールを9月14日以降に適応できる為、法案が成立することが確実になった。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150716-OYT1T50178.html?from=ytop_main3

読売新聞の社説には日米同盟の強化を、とあるが、私には、これはどう見てもアメリカに兵隊を差し出す法案にしか見えない。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150717-OYT1T50001.html

戦後、こいつらに兵隊を持たせると何をしでかすか分からないとばかりに制定したであろう憲法9条を盾に兵隊を出すことを渋る日本。
自分たちで作った手前、さすがにこのご時世で撤廃しろともいえないアメリカ。
二国の思惑があっての、ゴリ押しともいえる法案成立なのではないだろうか。

日本の国の在りようを変えると言っても過言ではないこういう法案を、審議の内容ではなく、行った時間で判断して通してしまって果たしていいのだろうか。

●自前の武力を持つのは世界の常識

私個人としては、日本の平和を守っているのは憲法9条ではなく、アメリカの武力によるものだと思っている。
武装を放棄しても憲法9条の精神に則り、平和平和と言っていれば平和はおとずれる、そんなものは幻想である。
それはお店に警備員を置かず、泥棒は入らないと言っていれば被害には遭わないと言っているのと同義である。
もちろんそんなことはなく、そんなお店は泥棒の良いカモになるだけだ。
だから、現段階でアメリカに出て行かれると、恐らく日本はひどいことになると思われる。
基地の立ち退きを迫るのであれば、憲法9条を改定し、自前の軍隊を持ってからである。
それは一丁前の国として独立することである。

じゃあ今回の法案の成立は良いことじゃないか、と思われるが、それはアメリカと日本の立場が対等であればの話だ。
日米地位協定を見るまでもなく、現状日本はアメリカの属国である。
それを揶揄して、日本はアメリカの51番めの州なんて言われることがあるが、現実はもっと格下の扱いだ。
アメリカがどのかの国に攻めるとなった時、恐らくそれは日本の存立に関わる事態ということになっているだろう。
兵隊出せや、と迫られた時に、果たして日本は断れるのだろうか。
たぶん無理だろう。

ならば日本は早く軍隊を持ってアメリカから独立すべきか。
私はYESだと思うが、正直日本はまだ時期尚早ではないかと思う。
それは、先の大戦で行った明らかな侵略行為を今だ認めていないことにある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6

安部首相にしても、侵略の定義は国際的に決まっていないと言って逃げている始末だ。
侵略か否かは相手国の主観で決まる。
いかに日本が相手国の為にやったと言っても、それが迷惑でしかなければ侵略になる。
そういうことが分かっていない連中が武力行使をすると言っているのだ。
これほど恐ろしいことはあるまい。

安保法案の審議において、安部首相はホルムズ海峡の機雷除去や他国から攻められる危険があると強調していたが、このままで武力行使ができる状態になれば、何かやらかすのは日本の方ではないだろうか。
私はそちらを懸念する。
上記のことが分かっていなければ、何をするにしても悪いのは自分ではなく相手国である。

●憲法9条にノーベル賞を

憲法は明らかにアメリカが日本に武力を持たせまいとして制定したものであり、自前の武力を持たないことは、世界の常識からも反している。
しかし、常識とはあくまで大多数の人が持つ考え方の一つであり、それが正しいこととは限らない。
武力を持つ者達の均衡による偽りの平和ではなく、武力を持たないことでそれを成すことこそが人間としては正しいことなのではないかと思う。
でも、それはもっとずっとずっと先のことなんろうけども・・・。

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2015年07月04日

大雨の高速道路で原発の安全神話を考える。

P_20150703_120701.jpg

免許の更新に行ってきた。
私は堂々違反者講習なので2時間拘束されることとなる。
目新しいことは、無免許運転に関する規程が加わったことと、自転車の往来に関するものだろうか。
まあ、講習の文句はこっちでも言ったので今更言うまい。
いつも通りのお仕着せ、警察や関連企業の金儲けである。


●大雨の高速道路の安全神話
免許センターまでの行き帰りはたまにしか使わないので高速道路を使った。
運が良いのか悪いのか、警報が出て速度規制が入るほどの大雨でだった。
千葉駅が冠水するなど、けっこうな大雨だったのだが、そな最中に高速を走っていたわけだ。
http://j-town.net/chiba/news/localnews/208202.html


今まで高速で大雨に当たったことはあったと記憶しているけども、こんなに怖かっただろうか。
というもの、雨の水煙で視界が効かない。
100mも見えれば良いほうだ。
にも関わらず、周囲のクルマはライトも点けずに晴天時と同じようにペタペタに車間を詰めて走っている(もちろん晴天であっても危険な距離だ)。
ライトが点いていないと、特にシルバー系のクルマは水煙に溶け込んでしまって見えず、車線変更が怖い。
これだけ視界が効かないのに、よくそんなことができると感心した。
こっちはある程度車間を保っても怖いと感じるのに、あっちはそんなことは感じないのだろうか。
もちろんちゃんとやっている人もいるけれど、正直巻き込まれたらたまんないと思っているじゃないだろうか。


そうなる原因としては、自分は大丈夫だと思うのか、危険だと感じつつも対処の仕方が分からないのか、そもそも危険とすら認識していないのいずれかだと思う。
ここで話は飛んで、原発の話になる。
今、原発が再稼働できないのは、再稼働しちゃイカンという空気であり、その元となっているのはゼロリスク(つまりは絶対の安全)を求める日本のお国柄だという話を聞いた。
上の高速道路での状況を読んで、果たしてゼロリスクを求めるのは国民性だと思う人がいるだろうか?
当然私は違うと思う。
安全性を高めるには、まずそこにどんな危険があるのかきちんと認識しなければならない。
その後初めて対処方法を考えて実践に移し、ダメならまた他の方法をと、トライアンドエラーが可能となるわけが、恐らくは最初の危険を認識することがスッポリ抜けているのではないかと思う。
潜む危険を認識したとき、自分のことであれば、まあ大丈夫だんべと考えないこととし、他人ごとであればゼロリスクを求める。
ここから見えてくるのは、日本人の国民性とは、「自己の責任の棚上げと他者への無限の責任追求」である。
自己の責任の棚上げは安全神話を産み、他者への無限の責任追及で身動きが取れなくなる。
もちろん、悪いことを言うと悪いことが起こる的な、いわゆる言霊信仰もあったのことだと思うが、この考えはそう外れてはいないのではないだろうか。
その思考がもたらすのは、合理的な考え方の排除であり、感情が優先する事態である。


それでも、今の原発が安全だとは思えない。
そもそもが、自己の責任の棚上げによる安全神話で作られてしまっているからだ。
それでも、ゼロリスクなんてあり得ないのだから、ある程度の対策をしたら再稼働をしても良いのではないだろうか。
稼働をしつつ、再生可能エネルギーへとシフトしていく。
もちろん、原発マネーに毒されたジャンキーがまともな思考をまだ保っていれば、の話ではあるが。


とまあ、そんなことを考えた雨の高速どうろでした。
皆様も安全運転でいきましょう。
ご安全に!
posted by topolino at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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