2015年04月26日

放射能と原発の真実

一度放射能や原発事故についてさらってみるつもりで最近3冊の本を読んだので紹介したい。
ただ、3冊とも原発の専門家ではない人たちが書いたというのがおもしろい。







上の2冊は物理学者、菊地誠氏が推していたので、まあ放射能だの放射線だのを一度さらう意味で読んだ。
放射能とは何ぞやという、一から知りたい人にはオススメだ。
不安を抱きたくないのであれば、この2冊で止めておく方がいいと思う。

一番下は、自称キチガイ医、内海聡氏の書いた、言わば原発政策の裏側に迫ったものである。
ある意味で上2冊と下の一冊はまるで真逆のものである。
私のスタンスとしては、賛成や反対のように両方の意見を知らないと真実は分からないと思っている。




ちなみに私の原発に対するスタンスは、原発それ自体はやっても構わないと思っている。
しかし、原子力ムラには反対だ。
原子力、その技術自体には善も悪もない。
発電や医療や核爆弾、全ては使う人次第で善にも悪にもなる。
また、その使い方によっても同様だ。




●被曝の実態
3冊を比べて分かるのは、空間線量や現状食物から取り入れられる放射性物質(セシウム等)の数字が、出処の差はあるとはいえほぼ一緒ということだ。
発災当初、モニタリングポスト周辺を除染して値を下げたとか、使われている機器にも怪しい点があると言われているが、個人線量計のD-シャトル(知ろうとすることに出てくる、早野氏の用いた個人線量計)と比較しても、福島の線量は問題ない量となっている思われる(もちろん未除染地域は未だ高いのと、ホットスポットはあるだろう)。
内部被曝についても、早野氏の使用したホールボディカウンターやベビースキャン、内海氏の尿中検査の値と比べても、発災当初は高い場合もあったとのことだが、それは特殊な例(裏山の山菜やきのこを食べた等)であったというし、追加の放射性物質の摂取についても微々たるものとのことだ(数値の詳細については本を読んでね)。
外部被曝についてはほぼ把握されているので、問題になるのは内部被曝であるとしている。
内部被曝についても、福島産のものは全量検査を行っているので大丈夫だと見られる(やり方がおかしいという話も見聞きはするが・・・)。
食品に含まれる放射性物質については、検査を行っていない他県のものの方が危険であるとう話もある。
私は気にしてないけどねwww




●低線量被曝について
外部被曝でも内部被曝でも、今後起こりうるのは低線量被曝である。
原子炉内に入りでもしない限り高線量被曝は起こりえないから、低線量被曝での人体の影響がどうなるかが問題である。
上にも書いたが、ホットスポットに長時間いるとか、未除染地域に入りでもしない限り外部被曝については問題ないと思われる。
自然放射線(宇宙線などの自然由来の放射線)と比較してもそう高い値ではない。




被曝において真っ先に思い浮かぶのがガンだが、ICRP(国際放射線防護委員会)によると、100mSvの被曝でガンによ死亡率が0.5%上乗せされるとという。
100mSV以下については、もう他のリスクに埋もれてしまい、測定不能とされる。
が、これはあくまで死亡率であり、ガンになる確率(罹患率)はもう少し高いくなるものと思われる(「いちから聞きたい放射線のほんとう」でも、死亡率と罹患率がゴッチャになっている)。




ヨウ素131による甲状腺ガンも、増えているという話もあるものの、原発事故由来のものではなく、もともとあったものであるとされている。
甲状腺ガンはもともと進行が遅く、知らずにいる人も多いという。
今回測ってみてそれが見つかったというのが大筋の見方である。
ちなみに甲状腺ガンが一番多いのは韓国だそうだが、それは乳ガンの検査のついでに甲状腺ガン検査もするので見つかるからだという。
ただ、チェルノブイリ事故での低汚染エリアでの甲状腺ガンが増えるのは5年後からといわれている。
福島のヨウ素131による被曝はチェルノブイリに比べて少なく、恐らく問題はないだろうとされているが、結論が出るのはもう少し後になろう。
ただし、内海氏は、ガンの患者情報を一元管理するガン登録法の真意は、放射能によるガンの発生状況や原因を隠蔽するためであるとする。




●被曝で起こるその他の病気
原発事故後、真偽は分からないが(そういう事象があったことと原因について)、ツイッター上で心不全で知り合いが突然死したという話題がけっこう見受けられた。
私の知人も一人亡くなった。
もちろん原因が被曝によるものか、放射性物質そのものによるものかどうかは分からない。
ただ、近くでそういうことが起こるとけっこう気持ちが悪いのも事実である。
チェルノブイリ事故においても、発災後心臓病になる人が増え、死因の第一位になったことがあるという。
バンダジェフスキー博士によると、体内に取り込まれたセシウムは心筋に集まり、働きを阻害するという。
バンダジェフスキー博士については懐疑的に見る向きも多いが、確かに利にはかなっている。
そもそも、心臓病が増えているという話自体がウソということではなければ合理的説明はできまい。
放射能安全派はストレスとしているが、そんなことあるわけないだろうと。




原発直後、鼻血や喉の痛み、咳などを訴えるものがツイッターにけっこう流れているのを見た。
内海氏は原因はホットパーティクル(爆発で飛び散って降下してくる放射性物質等の微粒子)ではないかとしている。
それを鼻や口から吸引することで、鼻血や喉の痛みを生じるというのだ。
ホットパーティクルの出す放射線によるものか、それともそれ自体が血管を傷つけるのか、現状となってしまっては分からないが、美味しんぼの記述にあったように、福島に行って鼻血が出たというのは間違いだろう。
被曝だけで鼻血が出るのは、それこそ1Sv(1000mSv)くらいから(血小板が減少するという)であり、現状の線量でそんなことはまずあり得ない。




それ以外にも内海氏は、チェルノブイリ事故において、ダウン症、奇形、脳への障害、倦怠感(原発ぶらぶら病)などの発生を指摘している。
また、低線量被曝を長期間続けることの危険性も指摘しており、それは高い線量を一度に浴びるよりも危険であるとする。
日本人は慢性的にミネラル不足、良質の油不足、糖分の摂取過多、食物天下座等の化学物質の摂取過多により弱ったところに放射能でトドメを刺されることと指摘してる。
それらを総合的に判断しなければならないことで、放射能だけをことさら恐れるのは間違いだとしている。
低線量の放射線であれば安全だということは厳密に言えば間違いではあるが、その他の要因で回復、軽減できることであり、現状そういうレベルであると言うことであろう。
よく例えに出されるように、タバコを吸っていて放射能を怖がるのはおかしいと言うのがあるが、半分は正解で半分は間違いである。
放射能のリスクはタバコに上乗せされるので、タバコと放射能を比較して放射能の方がリスクは低いから安全だということはない。
タバコも放射能も総じて危険であり、両者を比較するとタバコの方が危険度が高いというだけである。




●結論として
原発は100%安全はウソであった。
そんなの人間がやることに100%はないのだから(100%を目指すのは大事なことである)、それがウソであることはちょっと考えれば分かることである。
今度はその口で、100%の安全はない、リスクゼロを求めるなと言っているのだから呆れるばかりだ。
最近では脱原発をはかる為の資金にする為にも原発の再稼働を、と言っている。
それならなぜ震災前にそれを言わなかったのか。
もちろん脱原発をはかると言うのはウソである。
一旦原発が稼働すれば、なんだ大丈夫じゃんという空気が流れる。
それに乗じて震災前のような原発大国に戻そうという腹であることは容易に想像ができる。
連中がそんな美味しいものを簡単に手放すわけがない。
もし手放すのであれば、再生エネルギー事業がよほど美味しいと思ったときであろう。
そういうウソを言ってはばからないからこそ、原子力の技術は容認すれども原子力ムラには反対なのである。




「いちから聞きたい放射線のほんとう」と「知ろうとすること」に共通するのは、無用に恐れるのではなく、科学的に考えろである。
ナショナルジオグラフィックにあったものだが科学とは「私達の信じるものが自然の法則に基いているかどうか判断するための手法」とする。
それは言わば直感の否定、もしくは検証と言い換えてもいいかもしれない。
地動説に対する天動説のように、直感的に見れば地球が太陽の周りを回っているように見えるから地動説の方が正しいと思えるが、実際は逆に地球の方が太陽の周りを回っている(ただし、これもそう教えられているからそう分かっているだけで、実際確かめた人は少ないのではないだろうか。私も試してはいないが)。
であるからこそ、実は科学的に考える行為は、実は誰の言っていることを信じるかにいつの間にかすり替わっていることに注意する必要がある。
それは結局どっちのムラに属しているかということであり、例えば放射能の問題について議論しているつもりが、自分がどちらのムラに属しているかを言い合っているだけに過ぎない状態になってしまうのだという。
それを解決するには、近しい人の説得によるしかないのだという。
ツイッターでいつまでたってもなんやかんや言い合って解決しないのはその為だ。




その上に、科学はウソはつかないが科学者は間違えるし嘘をつく。
製薬会社ノバルティスファーマの高血圧治療薬(ディオバン)の論文不正は記憶に新しい。
このように、利権や金により平気でウソをつく輩もいることは覚えておかなければならない。
御用学者という言葉も流行った。
それらを疑うこともまた科学である。
恐らく科学的に考えることを一番嫌っているのは原子力ムラの連中ではないだろうか。
だからこそ、原発再稼働の目的をコロコロ変えてきているのだ。
それらに疑問も抱き問いかける。
場合によっては自分の信じてきたものが真っ向から否定されるかもしれない。
でも、それが人間というものなのだろう。




改めて振り返ると、関わった人の苦労のおかげとはいえども、福島第一原発の事故がこの程度で済んだのは本当に運が良かったからだと思う。
だから、福島第一原発の事故が軽かったといって、それを他の原発の口実にするのは間違いである。
稼働するにせよ廃炉にするにせよ、それらを安全に完結するには多大な苦労が必要であるし、時間もかかる。
それに、どっちにしても放射性廃棄物の問題がついて回る。
目先のことにとらわれず、ネイティブアメリカンの言葉の通り、七代先まで見据えた対策、事業が今こそ必要なのではないだろうか。

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2015年04月18日

内橋克人さんの記者三訓がとてもためになった!!

やっぱりこちらのブログも更新します。
なんでそう思ったかはコチラを参照願います。
今回は、更新再開にふさわしい内容ではないかと思います。




NHKの朝の情報番組で一番楽しみにしているコーナーがビジネス展望だ。
4月の番組改変で番組は「マイあさラジオ」となり、コーナーも「社会の見方・私の視点」と変わったが、内容は変わらないので安心した。
先日そのコーナーの常連さんである経済評論家の内橋克人さんが、とても身につまされる話をされていた。
それはまだ内橋さんが新人の時に先輩から言われた、新聞記者の最も大事な三訓だという。




●自分の目で確かめろ。
発表者、人づての情報に操られてはならない。
自分が現場に足を運び、自分自身の目で確かめる。




●上を向いて歩く奴に仕事師はいない。
上というのは、組織の内外の上のもの、つまり強いもの、偉い人に目を向けて仕事をしている人に、本当に仕事のできる人はいない。
偉い人に気を遣う、上の意向を尊宅して記事を書くことは、新聞記者として最も恥ずべき行為である。




●責める側にカメラを据えるな。
責められる側に最後まで踏みとどまり、権力を背にし、強い側に守られながら写真を撮ってはならない。




私はジャーナリストではないが写真は撮る。
とはいっても、デモの現場や戦場に行くわけではない。
だからあんまり自分には関係ないように思えるが、考え方、生き方の根幹に関わってくると思うのだ。
正直な話、強いものにつく、上の意向に沿って生きた方が楽ではある。
でもそれは、ジャーナリストのみならず、人間としての尊厳すら放棄することに等しいのではないだろうか。



ここ最近は、公共放送で中立を旨としなければならないNHKの会長が、政府の意向を報道するような発言をしたり、政府に批判的なものを放送すれば、中立にやれと注文が入る。
中立というのが政府の意向を報道しろという意味なのは、NHK会長の発言に注文をつけないことで分かる。
結果政府批判の自粛が起こっているわけだが、そうなってくるとテレビやラジオ(なぜかラジオはまだマシだと思う)で流れてくるのは、政府の意向を尊重した、いわゆる尊宅報道となってしまう。
それはつまり、ジャーナリズムの自殺を意味するわけだが、そういう偏った情報にさらされる方もたまったものではない。
行き着く先はやはり戦争なのだろう。
なんだか雲行きが怪しくなっている昨今、皆が訓示のような視点をもっておくことはとても大事ではないかと思う。


内橋さんのお話はこちらで聞けるけども、バックナンバーがどうなっているのかよく分からないので、聞きたいという方はお早めに。
新しいのが放送されると上書きされちゃうかもしれないので。
http://www.nhk.or.jp/r-asa/doga2/3bus_2.html




で、内橋さんが紹介されていた筆洗を後で買ってみようっと。

posted by topolino at 03:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

ブログを一つにまとめます宣言

私はこのブログの他に2つブログをやっているのですが、時間が取れずに更新頻度が落ちていますので、こちらに集約したいと思います。


以降はこちらにブログを書いていきたいと思いますので、これからもお付き合いいただけますと嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

http://takanobu.me/

posted by topolino at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月16日

銀河英雄伝説のヤン・ウェンリー語録が、まるで今の日本を見ているかのように的確すぎてワロタwwwww

断薬医師でご存知の方もおられるかもしれないが、内海 聡さんが自身のフェイスブックのウォールにヤン・ウェンリー語録(他の人のもあるけども、ほとんどがヤン・ウェンリーなので)。
https://www.facebook.com/omoshironews/posts/634847023256929

フェイスブックを見られない方もおられると思うので、以下コピペ。
ちょっと長いけども、お付き合いを。


恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもの望みはしない。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。吾々が次の世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう。忘れれば先人の資産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。(中略)要するに私の希望は、たかだかこの先何十年かの平和なんだ。だがそれでも、その十分ノ一の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う。私の家に14歳の男の子がいるが、その子が戦場に引き出されるのを見たくない。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー
 

人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー


ブラウンシュバイク公の病理は、無意識の、傷つきやすい自尊心だった。本人はそれと気づかないだろうが、自身をもっとも偉大で無謬の存在であると信じているため、他人に感謝することができず、自分と異なる考えの所有者を認めることもできないのだ。彼と異なる考えを持つ者は反逆者にしか見えず、忠告は誹謗としか聞こえない。(中略)当然ながら、このような気質を持つ者は、社会に多種の思想や多様な価値観が存在することも認めない。 ・・・・・・ ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ


政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。それは個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判することができない状態を、政治の腐敗というんだ。貴官たちは言論の統制を布告した、それだけでも、貴官たちが帝国の専制政治や同盟の現在の政治を非難する資格はなかったと思わないか ・・・・・・ヤン・ウェンリー


国家が細胞分裂して個人になるのではなく、主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どちらが主でどちらが従であるか、民主主義社会にとっては自明の理でしょう。 (中略) 人間は国家がなくても生きられますが、人間なくして国家は存立しえません。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー
 

忍耐と沈黙は、あらゆる状況において美徳となるものではない。耐えるべきでないことに耐え、言うべきことを言わずにいれば、相手は際限なく増長し、自己のエゴイズムがどんな場合でも通用する、と思いこむだろう。幼児と権力者を甘やかし、つけあがらせると、ろくな結果にならないのだ。人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー


自由惑星同盟という国家が消滅しても、人間は残る。「国民」ではなく、「人間」が、だ。国家が消滅して最も困るのは、国家に寄生する権力機構中枢の連中であり、彼らを喜ばせるために、「人間」が犠牲になる必要など、宇宙の涯(はて)までその理由を探しても見つかるはずがない。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー


絶対的な善と完全な悪が存在する、という考えは、おそらく人間の精神をかぎりなく荒廃させるだろう。自分が善であり、対立者が悪だとみなしたとき、そこには協調も思いやりも生まれない。自分を優越化し、相手を敗北させ支配しようとする欲望が正当化されるだけだ。どれほど非現実的な人間でも、本気で不老不死を信じたりはしないのに、こと国家となると、永遠にして不滅のものだと思いこんでいるあほうな奴らがけっこう多いのは不思議なことだと思わないか。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー
 

軍事が政治の不毛をおぎなうことはできない。それは歴史上の事実であり、政治の水準において劣悪な国家が最終的な軍事的成功をおさめた例はない。強大な征服者は、その前に必ず有為の政治家だった。政治は軍事上の失敗をつぐなうことができる。だが、その逆は真でありえない。軍事とは政治の一部分、しかも最も獰猛で最も非文明的で最も拙劣な一部分でしかないのだ。その事実を認めず、軍事力を万能の霊薬のように思いこむのは、無能な政治家と、傲慢な軍人と、彼らの精神的奴隷となった人々だけなのである。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー
 

フロイライン・マリーンドルフ、私は覇者たろうと志してきたし、それを実現するためにひとつの掟を自分自身に科してきた。つまり、自ら陣頭に立つことだ。かつて戦って倒してきた能なしの大貴族どもと私が異なる点はそこにある。兵士たちが私を支持する理由もだ。フロイライン、どうせ宇宙をこの手につかむなら、手袋ごしにではなく、素手によってでありたいと思うのだ。 ・・・・・・ ラインハルト・フォン・ローエングラム
 

愛国心が人間の精神や人類の歴史にとって至上の価値を有するとは、ヤンは思わない。同盟人に同盟人なりの愛国心があり、帝国人に帝国人なりの愛国心がある――結局、愛国心とは、ふりあおぐ旗のデザインがたがいに異なることを理由として、殺戮を正当化し、ときには強制する心情であり、多くは理性との共存が不可能である。とくに権力者がそれを個人の武器として使用するとき、その害毒の巨大さは想像を絶する。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー
 

「信念とは、あやまちや愚行を正当化するための化粧であるにすぎない。化粧が厚いほど、その下の顔はみにくい。」


「信念のために人を殺すのは、金銭のために人を殺すより下等なことである。なぜなら、金銭は万人に共通の価値を有するが、信念の価値は当人にしか通用しないからである。」 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー
 

運命というならまだしもだが、宿命というのは、じつに嫌なことばだね。二重の意味で人間を侮辱している。ひとつには、状況を分析する思考を停止させ、もうひとつには、人間の自由意志を価値の低いものとみなしてしまう。宿命の対決なんてないんだよ、ユリアン、どんな状況のなかにあっても結局は当人が選択したことだ。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー


何かを憎悪することのできない人間に、何かを愛することができるはずがない。私はそう思うよ。 ・・・・・・ ヤン・ウェンリー


市民たちが政治に倦まなかったら。ただひとりの人間に、無制限の権力を与えることがいかに危険であるか、彼らが気づいていたら。市民の権利より国家の権威が優先されるような政治体制が、どれほど多くの人を不幸にするか、過去の歴史から学びえていたら。人類は、よりすくない犠牲と負担で、より中庸と調和をえた政治体制を、より早く実現しえたであろうに。「政治なんておれたちに関係ないよ」という一言は、それを発した者に対する権利剥奪の宣告である。政治は、それを蔑視した者に対して、かならず復讐するのだ。ごくわずかな想像力があれば、それがわかるはずなのに。 ・・・・・・ ユリアン・ミンツ

       

いかがだろうか。
集団的自衛権や愛国心など、まるで今の日本のことをいってるようではないだろうか。
もちろん内海さんがその部分だけを抜粋したのではあるが、実に見事としかいいようがない。


これを見て何を思うかは個人の自由だが、今の日本は確実にヤンの杞憂する方向へ向かっていると私は思う。
願わくば戦争にだけはならないで欲しいと思う。
ただだがこの先数十年の平和を願うものとして・・・。


余談だけども、銀河英雄伝説のアニメのリメイクが決まったとか。
さすがに今の御時世あんな贅沢な作りはできないと思うが、薄っぺらい内容にならないで欲しいと思う。









ダダダっと貼ったけども、話数が話数だけに素晴らしい額だwwww


原作をもう一回読みなおしてみたくなってきたなwwww



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レビューポータル「MONO-PORTAL」
posted by topolino at 16:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

日銀が進める2%のインフレ目標は、労働者を騙してこっそり給料を下げることが目的だった。

こども版をうたっている割に使っている言葉は難しいのだが、表現自体は平易なので非常にわかりやすかったのでこちらの記事を取り上げたい。
http://agora-web.jp/archives/1590867.html


日銀は今、デフレ克服の為に日夜金をばら撒いている。
デフレの克服とはつまりインフレのことであり、お金の価値を下げて相対的に物価をあげようという方策だ。
何の為にそんなことをやるかというと景気回復のためであり、多くのお金が回るようになれば達成できる目論見の元に行っている。
個人でいえば、もらえる給料が増えるとなる。
これが文中でいう名目賃金(物価変動を加味しない貨幣賃金)となる。


この名目賃金を増やそうと、安倍政権は給料上げろと発破をかけていたわけだ。
そりゃそうだ、物価だけ上がって給料が上がらないのでは目の当てようがない。
しかし、現実的には給料が上がったのは大企業のみであり、多くの人にとっては目の当てられない状況となっているのはいうまでもない。


しかしだ、名目賃金があがったとしても、物価が上がっているのだから実質的なお金の価値は下がっている。
これが実質賃金(物価変動を加味した賃金)だ。


今年4月、政府は3%の消費税の増税を行い8%とした。
消費税と日銀のインフレ政策によって、実質賃金は3.5%下がったといわれている。
つまり、多くの人にとって、それだけ給料が下がったことを意味する。
http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/economic/8989


じゃあ下がった分はどこに行くのか。
大企業の経営者である。
結果として労働者を安く使えるようになり、さらに潤うが、労働者は買い叩かれるのでいつまで経っても豊かにはなれない。
格差はさらに拡大していく。


残業代ゼロ案もそうだが、結局は労働者を安く使って金をかき集めたものが勝ちとなる。
かき集めた金は労働者に分配しないから、富める者はさらに富、貧しい者はさらに貧しくなっていく(物価が上がるから現状維持では済まない)。


今、安倍政権が行っているアベノミクスとは、とどのつまりそういうことだと肝に命じる必要があるだろう。
以前テレビで、アベノミクスの好景気を実感しているか待ちゆく人に聞いていたが、実感できるわけがない。
そもそもアベノミクスは一般の人たちを食い物にして、金持ちを助ける政策なのだから。




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