2015年05月13日

イルカショーのイルカの捕獲方法が残酷で世界動物園水族館協会の会員資格停止って話がよくわからない・・・。

日本動物園水族館協会(JAZA)が世界動物園水族館協会(WAZA)の会員資格を停止されるという。
イルカショーで使用するイルカが追い込み漁という方法で捕獲されており、残酷で手段を選ばない方法で自然界から動物の捕獲を禁じた同組織の方針に反するからだという。
http://www.asahi.com/articles/ASH5C4VWTH5CUTIL013.html

では、この残酷でなく手段を選んだ捕獲方法って一体なんだろうか?
これはちょっと思いつかない。
どういう方法にせよ、網か釣り竿で釣り上げるしかないだろうし、だったら追い込み漁は特段残酷な手法といえるのだろうか。


ウィキペディアによると、イルカ追い込み漁(イルカおいこみりょう、dolphin drive fishing, dolphin drive hunting)は、捕鯨の手法の一つで、クジラを対象とした、追い込み漁である。いわゆるイルカと呼ばれるような小型の歯クジラに対して主に使われ、ボートと魚網で大海に至る抜け道を塞ぎ、入り江や浜辺に追い込んで捕獲する、とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%AB%E8%BF%BD%E3%81%84%E8%BE%BC%E3%81%BF%E6%BC%81


ウィキペディアにはなかったが、イルカのコミュニケーション機能であるエコーロケーションを、船からの大きな音によってパニックに陥らせて機能させないようにして云々というものもある。
http://irukaserapi.com/hogo/protect.html

上記のように追い込もうがやめようが、結果として網か何かで捕獲するのならばさして変わらないように思える。
むしろ、野生のイルカを捕まえて水族館で使うなというのであれば分からないでもない。
ただ、それをいうならば、世界の水族館のイルカはほとんど野生ではなく、繁殖によって増やしたものでなくてはならないし、最初からそのように勧告すればいい。


何年か前、和歌山県太地町のイルカの追い込み漁が、ザ・コーヴとうい映画で批判的に取り上げられた。
そういう背景も有り、イルカの追い込み漁を批判したいが為の措置として会員資格停止なんて話が出てきたのではないだろうか。
案外この辺から、イルカ漁の禁止、クジラ漁の禁止と発展していきかねないような気がする。
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2015年05月03日

自民党の憲法改正マンガ、「ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?」がいろいろとヒドイwwwww

先自民党の出した、改憲について分かりやすく書いたというマンガがいろいろとヒドイ。
憲法は戦後アメリカに押し付けられたものだとか、憲法が変わらなければ敗戦国のままだとか、現代にはそぐわないもので時代遅れであるとか、あくまで改憲ありきの視点で進む。
マンガはコチラにて入手かのう。
ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?(PDF)




確かに改憲はその時代時代で必要に応じてされるべきものだと私は思う。
だが、それは内容次第であり、権力を施行する側を助長するような方向への改憲は絶対にしてはならない。
マンガでは、憲法は国の在り方であると説く。
確かにそれは間違ってはいないが、憲法の目的、一番効力を発揮するのは、権力を縛ることにおいてである。
自民党の改憲案を見ると、明らかに権力の及ぶ範囲を拡大したいように読める。
現行憲法と自民党改正案との比較。





憲法改正というと憲法第九条が真っ先に挙がるが、それを視野に入れつつも、本当の狙いは人権の及ぶ範囲を縮小することではないだろうか。
恐らくそれは間違いではないのだろう。
マンガには、憲法は権力を縛る為にあるなんてことは一切書かれていない。




●徴兵について
現状、徴兵は憲法が定めるところによる、本人の望まない苦役に該当すると解釈されているためにその制度は無い。
今後憲法が改正されて徴兵制度が復活しても、兵役に召されることはないという考えがある。
曰く、昔ならばいざ知らず、現代の兵役は情報処理や銃火器の取り扱いについても高度な知識が要求されるため、素人を徴兵したところで足手まといになるからという。
確かにその通りだと思う。
だが、戦闘に参加するだけが戦争ではなく、膨大な裏方の作業がある。
戦時中は学校が軍需工場となり、皆が働かされた。
人手なんか猫の手も借りたいほどに必要となろう。
果たしてそれらを含めての徴兵や、それに準じた強制労働もないと言い切れるだろうか。




●国民投票を18才からにする狙い
私は、国民投票を18才以上からにする目的について分からないでいた。
正直子供は(大人だってそうだけども)選挙や憲法に興味はないだろうから、せいぜい投票率を下げるくらいだと思っていた。
が、このマンガで合点がいった。
中高での憲法教育なんて、せいぜいテストの穴埋め問題対策の暗記くらいであり、まともな教育なんてやらない。
そんな状態でこういうマンガを見せられたらどう思うだろうか。
現代に合わない、アメリカに押し付けられたもの、なんて考えて賛成票を投じるのではないだろうか。
たぶんほとんどの人は改憲案なんてじっくりと読まないだろうから、あっという間に人権なんてあってないものになってしまうだろう。
強制労働が可能な国になってしまうだろう。
それは実に恐ろしいことである。




今回のマンガで唯一得られる教訓は、皆でもっと考えろということだけである。
改憲は2年後を目処にとしているが、果たしてその時の世界情勢はどうなっているだろうか。
ただ一つ言えるのは、その時の投票は、いつもの選挙のように誰に入れても変わらない(本当はけっこう変わるけども)ものではなく、自分たちの普段の生活の根幹から変わるものとなろう。
平和だの平穏だの日常だのを維持するのって、けっこう大変なことなのだと思う。


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2015年04月26日

放射能と原発の真実

一度放射能や原発事故についてさらってみるつもりで最近3冊の本を読んだので紹介したい。
ただ、3冊とも原発の専門家ではない人たちが書いたというのがおもしろい。







上の2冊は物理学者、菊地誠氏が推していたので、まあ放射能だの放射線だのを一度さらう意味で読んだ。
放射能とは何ぞやという、一から知りたい人にはオススメだ。
不安を抱きたくないのであれば、この2冊で止めておく方がいいと思う。

一番下は、自称キチガイ医、内海聡氏の書いた、言わば原発政策の裏側に迫ったものである。
ある意味で上2冊と下の一冊はまるで真逆のものである。
私のスタンスとしては、賛成や反対のように両方の意見を知らないと真実は分からないと思っている。




ちなみに私の原発に対するスタンスは、原発それ自体はやっても構わないと思っている。
しかし、原子力ムラには反対だ。
原子力、その技術自体には善も悪もない。
発電や医療や核爆弾、全ては使う人次第で善にも悪にもなる。
また、その使い方によっても同様だ。




●被曝の実態
3冊を比べて分かるのは、空間線量や現状食物から取り入れられる放射性物質(セシウム等)の数字が、出処の差はあるとはいえほぼ一緒ということだ。
発災当初、モニタリングポスト周辺を除染して値を下げたとか、使われている機器にも怪しい点があると言われているが、個人線量計のD-シャトル(知ろうとすることに出てくる、早野氏の用いた個人線量計)と比較しても、福島の線量は問題ない量となっている思われる(もちろん未除染地域は未だ高いのと、ホットスポットはあるだろう)。
内部被曝についても、早野氏の使用したホールボディカウンターやベビースキャン、内海氏の尿中検査の値と比べても、発災当初は高い場合もあったとのことだが、それは特殊な例(裏山の山菜やきのこを食べた等)であったというし、追加の放射性物質の摂取についても微々たるものとのことだ(数値の詳細については本を読んでね)。
外部被曝についてはほぼ把握されているので、問題になるのは内部被曝であるとしている。
内部被曝についても、福島産のものは全量検査を行っているので大丈夫だと見られる(やり方がおかしいという話も見聞きはするが・・・)。
食品に含まれる放射性物質については、検査を行っていない他県のものの方が危険であるとう話もある。
私は気にしてないけどねwww




●低線量被曝について
外部被曝でも内部被曝でも、今後起こりうるのは低線量被曝である。
原子炉内に入りでもしない限り高線量被曝は起こりえないから、低線量被曝での人体の影響がどうなるかが問題である。
上にも書いたが、ホットスポットに長時間いるとか、未除染地域に入りでもしない限り外部被曝については問題ないと思われる。
自然放射線(宇宙線などの自然由来の放射線)と比較してもそう高い値ではない。




被曝において真っ先に思い浮かぶのがガンだが、ICRP(国際放射線防護委員会)によると、100mSvの被曝でガンによ死亡率が0.5%上乗せされるとという。
100mSV以下については、もう他のリスクに埋もれてしまい、測定不能とされる。
が、これはあくまで死亡率であり、ガンになる確率(罹患率)はもう少し高いくなるものと思われる(「いちから聞きたい放射線のほんとう」でも、死亡率と罹患率がゴッチャになっている)。




ヨウ素131による甲状腺ガンも、増えているという話もあるものの、原発事故由来のものではなく、もともとあったものであるとされている。
甲状腺ガンはもともと進行が遅く、知らずにいる人も多いという。
今回測ってみてそれが見つかったというのが大筋の見方である。
ちなみに甲状腺ガンが一番多いのは韓国だそうだが、それは乳ガンの検査のついでに甲状腺ガン検査もするので見つかるからだという。
ただ、チェルノブイリ事故での低汚染エリアでの甲状腺ガンが増えるのは5年後からといわれている。
福島のヨウ素131による被曝はチェルノブイリに比べて少なく、恐らく問題はないだろうとされているが、結論が出るのはもう少し後になろう。
ただし、内海氏は、ガンの患者情報を一元管理するガン登録法の真意は、放射能によるガンの発生状況や原因を隠蔽するためであるとする。




●被曝で起こるその他の病気
原発事故後、真偽は分からないが(そういう事象があったことと原因について)、ツイッター上で心不全で知り合いが突然死したという話題がけっこう見受けられた。
私の知人も一人亡くなった。
もちろん原因が被曝によるものか、放射性物質そのものによるものかどうかは分からない。
ただ、近くでそういうことが起こるとけっこう気持ちが悪いのも事実である。
チェルノブイリ事故においても、発災後心臓病になる人が増え、死因の第一位になったことがあるという。
バンダジェフスキー博士によると、体内に取り込まれたセシウムは心筋に集まり、働きを阻害するという。
バンダジェフスキー博士については懐疑的に見る向きも多いが、確かに利にはかなっている。
そもそも、心臓病が増えているという話自体がウソということではなければ合理的説明はできまい。
放射能安全派はストレスとしているが、そんなことあるわけないだろうと。




原発直後、鼻血や喉の痛み、咳などを訴えるものがツイッターにけっこう流れているのを見た。
内海氏は原因はホットパーティクル(爆発で飛び散って降下してくる放射性物質等の微粒子)ではないかとしている。
それを鼻や口から吸引することで、鼻血や喉の痛みを生じるというのだ。
ホットパーティクルの出す放射線によるものか、それともそれ自体が血管を傷つけるのか、現状となってしまっては分からないが、美味しんぼの記述にあったように、福島に行って鼻血が出たというのは間違いだろう。
被曝だけで鼻血が出るのは、それこそ1Sv(1000mSv)くらいから(血小板が減少するという)であり、現状の線量でそんなことはまずあり得ない。




それ以外にも内海氏は、チェルノブイリ事故において、ダウン症、奇形、脳への障害、倦怠感(原発ぶらぶら病)などの発生を指摘している。
また、低線量被曝を長期間続けることの危険性も指摘しており、それは高い線量を一度に浴びるよりも危険であるとする。
日本人は慢性的にミネラル不足、良質の油不足、糖分の摂取過多、食物天下座等の化学物質の摂取過多により弱ったところに放射能でトドメを刺されることと指摘してる。
それらを総合的に判断しなければならないことで、放射能だけをことさら恐れるのは間違いだとしている。
低線量の放射線であれば安全だということは厳密に言えば間違いではあるが、その他の要因で回復、軽減できることであり、現状そういうレベルであると言うことであろう。
よく例えに出されるように、タバコを吸っていて放射能を怖がるのはおかしいと言うのがあるが、半分は正解で半分は間違いである。
放射能のリスクはタバコに上乗せされるので、タバコと放射能を比較して放射能の方がリスクは低いから安全だということはない。
タバコも放射能も総じて危険であり、両者を比較するとタバコの方が危険度が高いというだけである。




●結論として
原発は100%安全はウソであった。
そんなの人間がやることに100%はないのだから(100%を目指すのは大事なことである)、それがウソであることはちょっと考えれば分かることである。
今度はその口で、100%の安全はない、リスクゼロを求めるなと言っているのだから呆れるばかりだ。
最近では脱原発をはかる為の資金にする為にも原発の再稼働を、と言っている。
それならなぜ震災前にそれを言わなかったのか。
もちろん脱原発をはかると言うのはウソである。
一旦原発が稼働すれば、なんだ大丈夫じゃんという空気が流れる。
それに乗じて震災前のような原発大国に戻そうという腹であることは容易に想像ができる。
連中がそんな美味しいものを簡単に手放すわけがない。
もし手放すのであれば、再生エネルギー事業がよほど美味しいと思ったときであろう。
そういうウソを言ってはばからないからこそ、原子力の技術は容認すれども原子力ムラには反対なのである。




「いちから聞きたい放射線のほんとう」と「知ろうとすること」に共通するのは、無用に恐れるのではなく、科学的に考えろである。
ナショナルジオグラフィックにあったものだが科学とは「私達の信じるものが自然の法則に基いているかどうか判断するための手法」とする。
それは言わば直感の否定、もしくは検証と言い換えてもいいかもしれない。
地動説に対する天動説のように、直感的に見れば地球が太陽の周りを回っているように見えるから地動説の方が正しいと思えるが、実際は逆に地球の方が太陽の周りを回っている(ただし、これもそう教えられているからそう分かっているだけで、実際確かめた人は少ないのではないだろうか。私も試してはいないが)。
であるからこそ、実は科学的に考える行為は、実は誰の言っていることを信じるかにいつの間にかすり替わっていることに注意する必要がある。
それは結局どっちのムラに属しているかということであり、例えば放射能の問題について議論しているつもりが、自分がどちらのムラに属しているかを言い合っているだけに過ぎない状態になってしまうのだという。
それを解決するには、近しい人の説得によるしかないのだという。
ツイッターでいつまでたってもなんやかんや言い合って解決しないのはその為だ。




その上に、科学はウソはつかないが科学者は間違えるし嘘をつく。
製薬会社ノバルティスファーマの高血圧治療薬(ディオバン)の論文不正は記憶に新しい。
このように、利権や金により平気でウソをつく輩もいることは覚えておかなければならない。
御用学者という言葉も流行った。
それらを疑うこともまた科学である。
恐らく科学的に考えることを一番嫌っているのは原子力ムラの連中ではないだろうか。
だからこそ、原発再稼働の目的をコロコロ変えてきているのだ。
それらに疑問も抱き問いかける。
場合によっては自分の信じてきたものが真っ向から否定されるかもしれない。
でも、それが人間というものなのだろう。




改めて振り返ると、関わった人の苦労のおかげとはいえども、福島第一原発の事故がこの程度で済んだのは本当に運が良かったからだと思う。
だから、福島第一原発の事故が軽かったといって、それを他の原発の口実にするのは間違いである。
稼働するにせよ廃炉にするにせよ、それらを安全に完結するには多大な苦労が必要であるし、時間もかかる。
それに、どっちにしても放射性廃棄物の問題がついて回る。
目先のことにとらわれず、ネイティブアメリカンの言葉の通り、七代先まで見据えた対策、事業が今こそ必要なのではないだろうか。

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2015年04月18日

内橋克人さんの記者三訓がとてもためになった!!

やっぱりこちらのブログも更新します。
なんでそう思ったかはコチラを参照願います。
今回は、更新再開にふさわしい内容ではないかと思います。




NHKの朝の情報番組で一番楽しみにしているコーナーがビジネス展望だ。
4月の番組改変で番組は「マイあさラジオ」となり、コーナーも「社会の見方・私の視点」と変わったが、内容は変わらないので安心した。
先日そのコーナーの常連さんである経済評論家の内橋克人さんが、とても身につまされる話をされていた。
それはまだ内橋さんが新人の時に先輩から言われた、新聞記者の最も大事な三訓だという。




●自分の目で確かめろ。
発表者、人づての情報に操られてはならない。
自分が現場に足を運び、自分自身の目で確かめる。




●上を向いて歩く奴に仕事師はいない。
上というのは、組織の内外の上のもの、つまり強いもの、偉い人に目を向けて仕事をしている人に、本当に仕事のできる人はいない。
偉い人に気を遣う、上の意向を尊宅して記事を書くことは、新聞記者として最も恥ずべき行為である。




●責める側にカメラを据えるな。
責められる側に最後まで踏みとどまり、権力を背にし、強い側に守られながら写真を撮ってはならない。




私はジャーナリストではないが写真は撮る。
とはいっても、デモの現場や戦場に行くわけではない。
だからあんまり自分には関係ないように思えるが、考え方、生き方の根幹に関わってくると思うのだ。
正直な話、強いものにつく、上の意向に沿って生きた方が楽ではある。
でもそれは、ジャーナリストのみならず、人間としての尊厳すら放棄することに等しいのではないだろうか。



ここ最近は、公共放送で中立を旨としなければならないNHKの会長が、政府の意向を報道するような発言をしたり、政府に批判的なものを放送すれば、中立にやれと注文が入る。
中立というのが政府の意向を報道しろという意味なのは、NHK会長の発言に注文をつけないことで分かる。
結果政府批判の自粛が起こっているわけだが、そうなってくるとテレビやラジオ(なぜかラジオはまだマシだと思う)で流れてくるのは、政府の意向を尊重した、いわゆる尊宅報道となってしまう。
それはつまり、ジャーナリズムの自殺を意味するわけだが、そういう偏った情報にさらされる方もたまったものではない。
行き着く先はやはり戦争なのだろう。
なんだか雲行きが怪しくなっている昨今、皆が訓示のような視点をもっておくことはとても大事ではないかと思う。


内橋さんのお話はこちらで聞けるけども、バックナンバーがどうなっているのかよく分からないので、聞きたいという方はお早めに。
新しいのが放送されると上書きされちゃうかもしれないので。
http://www.nhk.or.jp/r-asa/doga2/3bus_2.html




で、内橋さんが紹介されていた筆洗を後で買ってみようっと。

posted by topolino at 03:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース/時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

ブログを一つにまとめます宣言

私はこのブログの他に2つブログをやっているのですが、時間が取れずに更新頻度が落ちていますので、こちらに集約したいと思います。


以降はこちらにブログを書いていきたいと思いますので、これからもお付き合いいただけますと嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

http://takanobu.me/

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